コードギアス 復活のルルーシュにむけて

2016.11.27 コードギアス 反逆のルルーシュの10周年記念イベントとして「コードギアス 反逆のルルーシュキセキのアニバーサリー」が開催された。そこで発表された、コードギアスの新プロジェクトは下記のとおりだ。

特に「復活のルルーシュ」については谷口監督、脚本・大河内氏の両名より「時間軸はR2最終回の数年後」「ルルーシュが登場する」「パラレルワールドなどの話ではない」と明言された。つまり、10年間、視聴者の間で議論されてきた、ゼロレクイエムの後、ルルーシュが生きているか否かという問題に、公式から解が与えられたということだ。
これに対し、ファンの間では賛否両論巻き起こるであろうことは容易に予想できる。私自身、「反逆のルルーシュ」という作品は、主人公のルルーシュの死をもってして、あの物語に忘れられないピリオドを打ち込んだと思っているし、それでも生死をぼかした描き方については、ルルーシュのファンのことを思えば、「もしかしたら生存しているかもしれない」という一縷の望みを残した、非常にバランスの取れた描き方であったと思っている。だから、イベント参加者に贈られた招待状に隠された暗号の解「魔神の復活」についても、ルルーシュの復活ではないかという説を否定したかった。
ここから先は多分に私の想像で構成されている上に、ソースもあやふや(以前に何処かの記事で読んだ位の記憶)なので、あまり真に受けないで欲しい、という予防線を張ってから書く。
イベントにて販売されたパンフレットにも記載があるが、「コードギアス」という作品はもともと、その後のシリーズ展開まで見据えて始まったプロジェクトである。「ガンダム」や「マクロス」のように、「反逆のルルーシュ」と同軸、または、ギアスやナイトメアフレームという設定だけを流用した全く新しい「コードギアス」が生まれる可能性もある。もちろん、「反逆のルルーシュ」自体が成功しなければ、その後の展開もありえない。だからこそ、「反逆のルルーシュ」は「売れる」要素を貪欲に取り入れた。そもそも谷口監督は、監督として「赤字を出さないこと」が大切だと以前より語っている。(もちろんどんな作品でも、それは必要最低限に必要なことなのかもしれないが)この「反逆のルルーシュ」では、それ以上に、「売上」が重要な目標として掲げられたからこそ、これまでの作品にはない、キャラクターデザインの起用やアーティストタイアップがあったのだろう。
そして「反逆のルルーシュ」は、谷口監督の手がけた作品の中で一番のセールスを記録した。コードギアス自体は円盤だけでなく、玩具(プラモ)やらなんやらの売上も色々コミコミで企画されていると思うので、実際のところは分からないが、決して失敗した作品ではないだろう。そして、2010年から始まった新・コードギアスプロジェクト。完全新作「亡国のアキト」をはじめ、コードギアスが「反逆のルルーシュ」から、次のステージへと移行する。
今日のイベントで、谷口監督は何度も「コードギアスを新しいステージに進めるために」と、繰り返した。これまで登壇することのなかった谷口監督、大河内氏両名が本日のステージに上り、自らの言葉を語ったことは、決意でもあったと思う。ルルーシュを復活させることに賛否の声が上がるのは、監督も重々承知であったはずだ。これは本当にただの想像だけれども、谷口監督はルルーシュを復活させるつもりではなかったと思う。けれども、「コードギアス」という作品において、ルルーシュというキャラクターのアイコンはあまりにも大きすぎた。その魅力が過ぎたために、神話になることを赦されなかった。神は魔に堕とされ、または、「コードギアス」という作品を、次の十年へ繋げるための生贄として捧げられた。それが、「復活のルルーシュ」であると、今の私は思う。
続編の報を受け、喜ぶ声もあるが、「せっかくの名作を貶める」「墓荒らしのようなことはやめて欲しい」という否定的な感想もたくさん目にした。そんなのはおそらく、谷口監督自信が思ってるわい、と言いたい。いや、実際のところどう思っているかは今後の発言を待たないと真意はわからないけれど(語られるかもわからない)、初めてのテレビシリーズ監督作品である「無限のリヴァイアス」時代にも続編を断った経緯などから、一度完結させた物語に固執するタイプではないと思う。だからもう、谷口監督を信じて待ってくれ。結局はそれしかないのだから。

参考に
「快感原則」を忘れるなかれ 谷口悟朗監督「コードギアス 反逆のルルーシュR2」(3)